] スポーツ起源の成句
                 −ボクシングの場合



  日本語の「寄り切る」「うっちゃる」「肩透かしを食わせる」「露払いを務める」などの表現は、周知の通り、いずれも相撲言葉であり、文字通りの意味から転じて比喩的にも用いる。国技としての長い歴史を誇るがゆえに、それに由来する表現は多数ある。
  英語にもスポーツ起源の慣用表現はきわめて多い。英語圏の国々の慣用表現のうち、スポーツ起源のものを探していけば、おそらくその“横綱”としてはボクシング(boxing)が挙げられるであろう。また、もういっぽうの“横綱”としては、アメリカ生まれの野球(baseball)を挙げなくてはなるまい【これについては次稿 XI で改めて記述する】。ただし、野球はイギリスでは、イギリス起源のボクシングがアメリカで普及しているほどには普及していないために、それに由来する諸表現も一般性を持たない。イギリスではむしろ競馬(horseracing)に由来する表現のほうが豊富である。
  以下に、ボクシング起源の代表的な慣用表現を挙げてみる。用例については、特に出典の明記がなければ、 A. Makkai, et al: A Dict. of American Idioms  (1995, 3rd ed.) からの借用である。

at the drop of a hat 合図 [きっかけ] があると; 待ってましたとばかりに; ふたつ返事で。
  ●If you need a babysitter quickly, call Mary, because she can come at the drop of a hat. (べビーシッターがすぐに必要なら、メアリーに電話を掛けるといいよ。ふたつ返事でやって来るから) 《句源》 J.Rogers:The Dict. of Cliches には次のようにある。In the 19th century it was occasionally the practice in the United States to signal the start of a fight or race by dropping a hat or sweeping it downward while holding it in the hand. The quick response to this signal found its way into the language for any action that begins quickly without much need for prompting.(帽子を落としたり、振りおろしたりして、喧嘩やレースの開始を告げることが、19世紀のアメリカでは時折行なわれていた。これにすばやく反応する様子が、決まり文句として定着し、大して促されなくても急速に始まる行動一般に対して使われるようになった; 迫村純男訳『よく使われる英語表現ルーツ辞典』(1989);迫村訳では、 the start of a fight のfightが「喧嘩」と訳されているが、これは「(ボクシングの)試合」のように思われる)。ちなみに、これをボクシング起源だとは言い切れないとする説もある。

beat a person to the punch (人の)機先を制する;(人の)先を越す。
  ●Lois bought the dress before Mary could beat her to the punch. (ロイスはメアリーに先を越されないうちにそのドレスを買った) 《句源》 これがボクシング起源であることは容易に察しがつく。S.T.Flexner:Listening to America によれば、1823年頃までには、この句は比喩的な意味でも用いられていたようである。

catch a person off guard 人の油断を突く。
  ●Tom caught Ann off guard and frightened her. (トムはアンの油断を突いて、彼女を怖がらせた)―NTC's American Idioms Dict. 《句源》 これをフェンシング起源とする説もあるが、いずれの場合も、試合相手の油断を突いて攻めることをいう。

come off second best  人に負ける。
  ●Why do I always come off in an argument with you?(君と口喧嘩するとどうしていつも負けちゃうのかな)−NTC's American Idioms Dict. 《句源》 これをレスリング起源とする説もあるが、いずれの場合も、敗北者がリングマットから“敗けて立ち上がる”ところから出た表現。

hang in there 最後まで頑張る[踏み止まる]。
  ●I know things are tough, John, but hang in there. (状況の厳しいのは分かってるけど、最後まで頑張るんだ、ジョン。)/I know if I hang in there things will come out okay. (僕が最後まで踏み止まれば状況は好転するだろうということは分かっているんだ)―両文ともNTC's American Idioms Dict.より。 《句源》 J. Rogers:The Dict. of Cliches には次のように説明されている。  Most likely, the term is from boxing, for “hanging in there” is what a fighter momentarily getting the worst of it tries to do:cling to the ropes or the arms of his opponent for a respite. (おそらく、この言葉はボクシングからきたものである。hanging in there とは、一時的に窮地に陥ったボクサーが行おうとするものだからだ。つまり、ひと息つくためにロープや相手の腰にしがみつくこと; 迫村純男・前掲訳書より)

below the belt (規則に反して「相手のベルトの下を打つ」の意味から、比喩的に)卑劣 [不正] なことをする。
  ●Pete told the students to vote against Harry because Harry was crippled and couldn't be a good class president, but the students thought Pete was hitting below the belt. (ピートは級友たちに、ハリーは身障者で立派なクラス委員長にはなれないから投票してはだめだと言ったが、彼らはビートが卑劣なことをしていると思っていた) 《句源》これがボクシング起源であることは容易に察しがつく。ちなみに、相手のベルトより下を打つことを反則と決めたのは1865年。

hit the deck  リングに倒れる[叩きつけられる]。
  ●The contender hit the deck twice in the fifth round.−The World Book Dict.(挑戦者は5ラウンドに2回、リングに倒れた) 《句源》元来は All hands on the deck!(全員甲板へ!)の意味の船員言葉に由来するhit the deck(起床して持ち場につく get up and start working)から派生したもので、これを「(相手のパンチを受けて)リングに倒れる[叩きつけられる]」の意味に拡大したもの。The World Book Dict. にはU.S. Slang のラベルが付してある。

on the ropes (「ロープにもたれて」の意味から比喩的に)窮地 [ピンチ] に陥って。
  ●The new supermarket took most of the business from Mr. Thomas's grocery, and the little store was soon on the ropes. (新しく開店したそのスーパーマーケットがトマス氏から食料雑貨の商売をほとんどを奪ってしまったために、彼の小規模店はまもなく窮地に陥ってしまった) 《句源》この句の起源がボクシソグにあることは容易に察しがつく。

polish off あっと言う間に平らげる[かたづける]。
  ●The boys were hungry and polished off a big steak. (少年たちは空腹だったので大きなステーキをあっと言う間に平らげてしまった) 《句源》元来は「相手をあっと言う間に叩きのめす」の意味のボクシング言葉であった polish off an opponent から派生したもの。 A Dict. of American Idioms  には、to defeat easily の意味の用例として、The Dodgers polished off the Yankees in four straight games in the 1963 World Series. (ドジャーズは1963年のワールドシリーズにおいてヤンキーズを相手に4試合をストレート勝ちした)が挙がっている。

pull one's punches (「わざと力を抜いて相手にパンチを加える」の意味から比喩的に)(発言などに)加減を加える。 ◇以下のように否定文で用いることが多い。
  ●The mayor spoke bluntly: he didn't pull any punches.(市長は[不快な事実を]率直に言って発言に加減を加えなかった)/ I didn't pull any punches. I told her just what I thought of her.(私は遠慮せずに、彼女について思うことを率直に言った) 《句源》この句の起源がボクシングであることはきわめて容易に察しがつく。

punch-drunk  (「パンチ攻撃を受けた結果、意識が朦朧として」の意味から比喩的に)頭がポーっとなって、何が何だか分からなくなって。
  ●Mark was punch-drunk for a few minutes after he fell off his bicycle.(マークは、自転車から転落して数分間、何が何だか分からなくなってしまった)/Incessant background music makes me punch-drunk after a couple of hours.(ずっとBGMを聞いていると、数時間後には頭がボーっとする)−J.0.E.. Clark:Word Wise, A Dict. of English Idioms.  《句源》これがボクシング起源であることは容易に察しがつく。punchy と言うこともある。

real McCoy, the  本物、正真正路の人[物]。
  ●The beer they serve in this hotel is the real McCoy ― you won' t find anything that tastes like it anywhere else in town.(このホテルで出すビールは本物だよ。あんな味は町中どこに行っても口にできないね)―Longman Dict. of English Idioms.  《句源》この句をボクシング起源とする確証はないが、一説にはということで「ボクシング起源表現」に収録する。各説に関しては、拙著 『英語表現のロマンス』(洋版)に収録した。

roll with the punch(es); roll with a punch (「パンチと同じ方向に体を動かす」の意味から比喩的に)状況[難局]にうまく対処する。
  ●ln the business world you quickly learn to roll with the punches.(ビジネスの世界では状況にうまく対処する方法はすぐに会得できるものだ)―The Random House Dict. (2nd Ed.)  《句源 》J.Rogers: The Dict. of Cliches には次のようにある。
   
      A good boxer rolls with a punch by shifting his body to avoid the
     full force of a blow. The extended meaning is seen in Harry Kurnitz’
     Invasion of Privacy (1956): “He had mastered the trick of rolling
      with the punches, rendering himself invisible when a crisis darkened
     the neighboring skies.”(腕利きのボクサーはパンチをまともに受けるの
     を避けるために体を動かし、パンチと同じ方向へ身を引く。ここからこの
     意味が派生して、Hurry Kurnitz の Invasion ofPrivacy(1956)の中にそ
     の例が見られる。「彼は危機があたりの空模様を怪しくすると、上手に
     立ち回って姿をくらます術を会得していた; 迫村純男・前掲訳書)

rough-and-tumble  無規則の[情け容赦のない/過酷な](試合・議論); 乱闘。
  ●It took strong men to stay alive in the rough-and-tumble life of the western frontier.(西部開拓地域の過酷な生活を生き抜くためには男達は屈強でなくてはならなかった)/There was a rough-and tumble on the street last night between some soldiers and sailors. ( 昨夜、街頭で数人の兵士と水兵とが乱闘を繰り広げた)  《句源》「荒々しく闘って相手を倒す」の意味のボクシング言葉に由来するようである。

see stars  目から火が出る、目がくらむ。 ◇文字通りには「星が見える」。
  ●When Ted was hit on the head by the ball, he saw stars. (テッドはボールが頭に当たって目から火が出る思いであった)《句源》英語国で制作された漫画などによく見られるもので、比喩としては傑作の一つであろう。

straight from the shoulder 真っ向から、ストレートに;歯に衣着せずに。
  ●Sally always speaks straight from the shoulder. You never have to guess what she really means. (サリーはいつもストレートにものを言うから、本音はどうなんだろうなんて思う必要は全然ないよ)―NTC's American Idioms Dict./ The candidate for Congress spoke out against his opponent's dishonesty straight from the shoulder. (議員候補者は対戦候補者の不正直さを歯に衣着せずに糾弾した) 《句源》この句がボクシング起源であることは容易に察しがつく。

take it on the chin (思いがけなく)敗北を喫する;(苦痛・苦境などに)冷静に[断固として]耐える。
  ●Our football team really took it on the chin today. They are all bumps and bruises. (我がフットボール・チームは今日は思いがけなく敗北を喫してしまい、選手たちはこぶだらけ、打ち傷だらけとなってしまった)/A good football player can take it on the chin when his team loses. (優れたフットボール選手は自分のチームが負けてもその事実を冷静に受け止めるものだ)   《句源》この句がボクシング起源であることは容易に察しがつく。ボクシング選手にとって、相手のパンチを顎(chin)にまともに受けることは危険極まりないことである。そこにそれを受けて思いがけなく敗北を契することもあれば、それに堂々と耐えることもある。この句はそうした様子を比喩的に言ったものである。

take the rap  (不本意な[不公平な]形で)責任を取る[取らされる]。
  ●All of the boys took apples, but only John took the rap. (少年たちの全員がリソゴを盗んだのに、ジョンだけがその責任を取らされた)/John took the burglary rap for his brother and went to prison for two years. (ジョンは自分の兄[弟]の身代わりとして、その強盗事件の責任を取って、2年間の刑務所暮らしをした) 《句源》「ボディーや頭部に鈍いパンチを受ける」(take a sharp blow to the body or head)の意味のボクシング言葉から出たとする説が一般的のようであるが、異説もある。

throw in the towel [sponge] (敗北の承認としてタオル[スポンジ]を投げ入れるところから一般的に)敗北を認める。
 ●When Harold saw his arguments were not being accepted, he threw in the towel and left.(ハロルドは自分の論戦が効を奏さないと知ると、敗北を認めてそこを立ち去った) 《句源》この比喩は日本人ポクシング愛好者にも馴染みのものであり、句源を云々する必要もなかろう。

throw [toss] one's hat in the ring; toss one's hat into the ring   立候補する。
  ●The senator threw his hat in the ring for re-electing. (その上院議員は再選に向けて立候補した)/Bill tossed his hat in the ring for class president. (ビルはクラス委員長選挙に立候補した)/Jane wanted to run for treasurer, so she tossed her hat in the ring. (ジェーンは会計係に名乗りをあげたかったので、立候補した)―NTC's American Idioms Dict. 《句源》 19世紀初期のアメリカで種々の催し物や祭りの際にボクシング試合が行われ、それに飛び入りを希望する着たちがリンク内に自分の帽子を投げ入れてその意思を表したところからと言われる。

wipe (up ) the floor with; mop (up ) the floor with  こてんぱんに負かす[やつける]
  ●Our team wiped the floor with the visiting team.(我がチームは招待チームをこてんぱんに負かした)/The bully thretened to mop up the floor with Billy.(そのいじめっ子はビリーに、こてんぱんにやつけてやろうかと言って脅した) 《句源》柏手をリング掃除用のモップか何かのように手荒く扱う[こてんぱんにやつける]ところから出た表現である。レスリング起源とする説もある。

  その他、単語レベルでのボクシング起源の語も多数あることを付言しておく。 例: floor (床に倒す); glass jaw (「ガラスのあご」→「パンチに弱いこと」)。


【本稿は拙著 『続々現代英米語の諸相』(こびあん書房、1993)に収録したものの改訂版です】