]X 英和辞典によって異なる同一文の扱い方の問題
                         ―"Room at the Top"の用例学


以前、非常勤講師として出講していた某大学院で、イギリス人作家 John Braine (1922-86) の 処女作で、彼を一躍有名にした Room at the Top (1957) の話をしたことがあった。日本語の翻訳名は『年上の女』となっている。何とかして上流階級に入り込もうという“野望”を持つ、役所勤めの一青年の物語だ。私が授業中にその作品に言及したのは「空間、空き場所、余地」の意味の不可算名詞としての room の例として分かりやすいと思ったからだちなみに、ある有名人が Room at the Top を「最上階の部屋」と“迷訳”したことがある。その授業に出席していて、その後、高等学校の英語教師になった某君から、久しぶりにメールをもらった。近況報告を除けば、その Room at the Top に関する質問だった。以下にその要旨を引用する某君のメールに英和辞典の具体名が書いてあるが、ここではそのローマ字の頭文字だけを用いて表記した

私も不可算名詞としての room の例としてしばしば先生が紹介してくださった John Braine の "Room at the Top" を利用しています。先日、参考で引いた『R英和』には「There is always room at the top. 《諺》最上の地位はいつでも空いているいる《トップに立つ[のし上がる]余地はいつだって残されている》」が出ていました。また、『G英和大』には 「There's always room at the top.〈John Braine〉 上流にはいつでも割り込む余地がある.」とありました。両者の英和辞典の訳には微妙な違いがありますが、先生はこの点についてどう思われますか。どちらがより適切なのでしょうか。大学院での授業を懐かしく思い出しながら質問させていただきます。


 上記の質問に対する私からの回答は次のようなものだ。

君が抱いた疑問は、まず間違いなく、次のようなところに原因があるように思います。There is always room at the top.という言い回しは19世紀前半のアメリカを代表する政治家の一人であった Daniel Webster (1782-1852) が口にしたものです【Websterが言ったのは There is room enough at the top.だったという文献も少なくありませんが、いずれにせよ、意味は同じです】。したがって、この事実をもとに英和辞典に記述すれば、『R英和』のような書き方(日本語)になりますね。これに対して、John Braine の Room at the Top に出てくるThere's always room at the top.を英和辞典に反映させれば、『G英和大』のような書き方(日本語)になるでしょう【ただし、“上流”という日本語は“川”の上流も連想させますが…】。
 しかし、『G英和大』の書き方はミスリーディングなものだといえます。なぜなら、その言い回しは、John Braineよりも先に用いている人が(Daniel Webster以外にも)何人もいるからです。たとえば、1871年には A. Carey (There always is room at the top.) が、1900年には W. James (Verily, there is room at the top.) が、1914年には A. Bennett (There is always room at the top.) が、1929年にはTimes 紙11, Jan. ...に there is always room at the top が、また1933年には文豪 W. S. Maugham が There's always room at the top. を使っています。
 『G英和大]の訳語の「上流」はイギリスの上流階級ということですが、すでに君にも分かったことと思いますが、There is [There's] always room at the top. は「(社会構造の)頂点にはいつでも(人が入り込む)余地[余裕]がある」ということですから、「上流(階級)」と断定するわけにはいきません。繰り返しますが、John Braine: Room at the Top 中の There's always room at the top. を訳したものだと考えれば、『G英和大]の訳語は間違ってはいませんが、There is [There's] always room at the top. という慣用句はイギリスの上流階級にだけ言及すべきものではなく、あくまでも社会構造の頂点を言ったものだと考えるべきものだと思います。
 結論としては、『R英和』の訳語のほうが“応用”が利 くものだと言えるでしょう。こういうことは、私が提唱する「辞書用例学 (Ipsology)」の観点からも、もっと研究されてしかるべき事柄だと思います。


 この例に見るような、同一文の扱い方が英和辞典によって異なるような場合、学習者・利用者にミスリーディングな情報を与える恐れがある。したがって、その初出例をよく調査して、その調査結果をもっとも望ましい形で辞書の記述に生かす必要がある。こういう研究は私が知る限りまだ全く開拓されていない。