Y 用例における性差の問題
1.例文と男女差
昔のテレビコマーシャルの1つに、「あなた作る人、わたし食べる人」というのがあって、それが性観念の固定化によるもの、先入観によるものとして話題になったことがある。和英辞典も、料理に関しては、「彼女は料理がうまい[下手だ]/母は台所で料理をしている/おばは私たちに魚料理をしてくれた/彼女はきのう料理の本を買った/ローストビーフは彼の好きな料理だ」のように、「あなた作る人、わたし食べる人」を地で行くような例文を収録したものが多かった。たとえば、1987年発行の某学習和英辞典を開いて、その例文のうち、女性が主語または話題の中心になっているものをアットランダムに拾い出してみる(英文は全て省略)。
いさかい 彼女はしゅうとめとの間にいさかいが絶えない。
うまい 彼女は病人を看護するのが非常にうまい。
おしゃべり 彼女はおしゃべりだ。
おつ 彼女はいつもおつにすましている。
かいがいしく 彼女は朝から晩までかいがいしく働いた。
介抱 彼女はけが人を手厚く介抱した。
体 彼女は体が弱い。
干渉 あの女はいつも他人のことに干渉してばかりいる。
感情 彼女は自分の感情を抑えることができなかった/彼女は感情に走
りがちだ/彼女は今感情が不安定だ。
関心 彼女は政治にはあまり関心がない。
着る 結婚式には何を着ようかしら/彼女は赤いセーターを着ていた/
彼女は決して黒を着ません/彼女は白い服を着ていた/彼女は次
に黒のドレスを着てみた/彼女は息子の罪を着ようとしていた。
きれい 彼女はきれいだね/彼女は着物を着るときれいに見える/彼女
は身なりをきれいにしている/彼女はきれい好きだ。
切れ目 彼女の話には切れ目がない。
裁縫 彼女は裁縫を習っている/彼女は裁縫の先生をしている。
差し出がましい あの女性は差し出がましすぎる。
躾ける 彼女は子供たちに良い習慣をしつけた。
死に別れる 彼女は子供の時に両親に死に別れた/彼女は2年前に夫と
死に別れた。
従順 彼女はきわめて従順です。
救い 燃えさかる建物の窓から女性が救いを求めている。
擦れっからし 彼女はひどいすれっからしだよ。
擦れる 彼女はすれている。
世間知らず 彼女は世間知らずだ。
洗濯 彼女にトレーナーの洗濯をしてもらった/彼女は洗濯物を干して
いる。
備わる 彼女には自然に気品が備わっている。
そねみ 彼女はよく人のそねみを受ける。
−だてらに 彼女は女だてらに酒豪だ。
手先 彼女は手先が不器用だ。
独身 彼女は一生独身で通した。
泣き声 彼女は泣き声でその事件の話をした。
泣く 彼女は部屋に一人きりでしくしく泣いていた/彼女はその悲報を
聞いて泣いていた/母は彼の話に感動して泣いた/彼女は必死で泣く
まいとしていた。
待つ 私は彼女が買物から戻るのを待っている/彼女は息子からの便り
を首を長くして待っている/彼女は夫の帰りを寝ずに待っていた。
優しい 彼女は気立ての優しい女性だ/彼女はその老人に優しい言葉を
かけた。
安らか 彼女は子供の安らかな寝顔を見て安心した。
用意 彼女は夕食の用意をしている。
理性 彼女は理性を失ってわめきたてた。
料理 彼女は料理が上手[下手]だ/彼女は母親ほどには料理ができな
い/母は今料理をこしらえている/彼女は料理のこつを知っている。
論 彼女の子育て論はおもしろいよ。
「台所と料理」(囲み記事)より
母は野菜を煮ています/「和子、エンドウ豆の莢をとるのを手伝ってく
れない」「はーい、今行くわ」/こねものにもう少し水を混ぜたほうがい
いと思うわ/母はサラダにドレッシングをかけ、軽くかき混ぜた/A:まあ、
おいしそうなお弁当ね、自分で作ったの−B:違うわよ.母 が作ってくれた
の−A:いいわねえ、そんなおいしい物を毎日作ってく れて−B:うちの母は
料理が好きなのよ.短大で家政学を学んだの/「牛肉を買いすぎてしまった
わ」「大丈夫、冷凍しておけばいいのよ」 /家に着いたら母は夕食の支度を
していた/良子、すぐ夕ごはんにしま すから食卓の用意をしてちょうだい。
これらと反対に、男性が良いことの主語として用いられたり、好ましい話題の中心になっている例文は、女性のそれらとを比べると、圧倒的に多いように思う。その一部を同じ和英辞典から引いてみる。
潔い 彼は潔く自分の敗北を認めた。
潔しとしない 彼は我々に援助を請うことを潔しとしなかった。
動く 彼はわいろで動くような人ではない。
飾り気 彼は飾り気のない人だ/彼の態度は飾り気のない快いものだっ
た/私は彼の飾り気のない言葉に深く感動した。
気前 彼は気前よくお金を貸してくれた。
スケール 父はスケールの大きな事業を始めた/彼はスケールの大きな
人だ。
正義(感) 彼は正義のために戦った/彼は正義感が強い。
強い 何て力の強い男だ/彼は腕力が強い/彼はいわゆる意志の強い人
間だ/彼は気が強い/彼は酒が強い。
頭角 彼は専門分野で頭角を現してきた/みるみるうちに彼は頭角を現
した。
堂々 その紳士は堂々たる風格をしていた/彼が試合に負けたときの態度
は堂々たるものであった。
度胸 あいつはなかなか度胸のある男だ。
まれ 彼が約束の時間に遅れるのはまれだ/彼のような賢い少年はまれ
だ/彼はたぐいまれな音楽の才能の持ち主だ/彼はまれに見る秀
才だ。
これらの例文を今日的観点から見ると、「女はかくある(べき)もの」、「男はかくある(べき)もの」という固定観念や、異性への思い込みのようなものが読み取れる。しかし、同辞典の原稿[素稿]が用意されていたであろう、今から20数年には、原稿執筆者たちの性差意識は今日のそれとは少なからず異なっていたはずである。そして、Landau
(1984;309 頁)の言うように、「社会的に優勢な価値というものは、時代と共に変化する」(society's predominant values
change from decade to decade) のであるから、上掲の諸文例に今日的観点から価値判断を下すことは控えなければならないであろう。
Landauは、Ann E. Baehr が1964年のElementary English 誌上で、1952年度版、1962年度版のThorndike-Barnhart Beginning Dict. を批評して、同辞典の用例が、一貫して、少女は善良、誠実、純粋、嘘をつかない、概して素晴らしい存在として描き、少年は乱暴で、残酷、どうしようもないほど邪悪なものとして描いていると結論付けていることに対して、次のように、同辞典を弁護している(以下、いずれも 309頁よりの引用)。
I cite this example of bias in dictionaries not to denigrate
the Thorndike-Barnhard dictionaries, which were without
doubt the best books of their kind. Moreover, nobody could
ever impute to Clarence Barnhart or to anyone associated
with him any sort of conscious bias. The criticism simply
illustrates that even an outstanding dictionary conscientiously
edited is apt ot reflect the cultural backgrounds and habits of
the editors.
私が辞書の偏りを示すこのような例を出したのは、ソーンダ
イク=バーンハート辞典の名誉を毀損するためではない。この
辞典はその種のものとしては、疑いもなく最良の辞典であった
し、さらにクラレンス・バーンハートあるいはその関係者が意識
的に辞典を偏らせたとはおよそ考えられない。その批評は、単
に、良心的に編集された著名な辞典でさえも、編集者の文化
的背景と習慣とを反映しがちであることを示しているだけである。
最新のThorndike-Barnhart Beginning Dict. が用例の選択において、1952年度版、1962度版の場合のようなパターンを示していないことを知る時、我々は Baehrがなした批評は、Landauの言うように、「後知恵、後講釈」(hindsight) とも言うべきものであると結論せざるを得ないのである。Landauは続けて次のように言う。
We see now that as these values change in the course of
time, what was formerly as innocuous as bland background
music can become intrusive and objectionable. The bright paint
used to color parts of ancient Greek statuary would strike us
today as tawdry.
今や我々は、これらの価値観が時の経過と共に変化するに連れ
て、以前は、心地好いバックグラウンド・ミュージック同様、少しも気
になら なかった事柄が、邪魔で不愉快なものになってしまう可能
性があるということを知った。古代ギリシャ彫刻の各部を彩るのに
使用された明るい 色は今日では派手過ぎるという印象を与える
であろう。
その後、男女平等意識の高まりや、PC (political correctness)意識の広まりによって、
英語辞書一般に好ましい変化が見られるようになった。上で問題にした学習和英辞典も、その後の改訂版
(1993) では、例文の男女差にかなり神経を使っている。たとえば、料理に関する囲み記事の中でも、次のような、男子を登場させた例文も普通に見られるようになった。
「早く食べてしまいなさい。やることがたくさんあるのよ」「僕が自
分で片付けるよ」/今日の皿洗いはお父さんの番よ。
2.人間社会の反映としての平等性と辞書
今後の辞書関係者が常に心に銘記しておくべきことは、主語を入れ替えて、she
をheに、heを sheにしさえすれば、性差に関わる問題が解決すると言うものではないということである。辞書の記述に見る男女の平等性は、真に平等な人間社会を反映としての平等性でなくてはならない。その意味において、辞書関係者は、「ことばと女を考える会」(1994)のカバー裏に印刷された次の一文を心に留めておきたい。
ことばというものは、恐ろしい。
ことばは、現実をそのまま写す鏡ではない。
ことばは、まやかしの現実をも作り出す。
醜い真実を、美しく見せかけることもする。
侵略戦争が聖戦と呼ばれ、敗戦が終戦といいかえられたのは、
遠い昔のことではない。
政治家や、官僚の使うことばのまやかしを、知りつくしている人々
でさえ、学問の装いをまとい、活字化されたことばは、容易に信じ
こむ。まして、辞典に書かれていることは疑わない。
しかし、辞典も例外ではない。こと女に関するとき、ことばの鏡はつね
に歪んでいた。曇っていた。写し出される女たちの、灰色に歪んだ姿
が一人立ちして歩き出し、世の中を歩きまわっていた。恐ろしいのは、
男ばかりか、女自身もそれを信じこんでいたことである。
筆者も英語辞書を編纂する立場から、用例文における性差問題には真剣に取り組んで来たつもりであるが、他からの指摘や叱正を俟たなければ気づかないこともある。しかし、未来に生きる若者たちが手にする和英辞典を編纂する者の一人として、性差別意識を助長するような例文だけは収録しないように心掛けたい。それは、上記、ことばと女を考える会(236
頁)の次の1文に共感を覚えるからである。
社会に差別が存在する以上、ことばの差別もなくならない、ことばだ けいじっても意味がない、とこれもよく言われることです。もちろんそ れは正論です。だから、社会を改める努力はもちろんしなくてはいけな い。しかしそれをことばを通じて行う方法もあるのです。差別意識の残 ることばを温存しつづけたら、社会もかわっていかないのです。ことば が意識を変えることだってある、ことばは社会の産物であると同時に、 ことばによって社会に生み出されるものもあるのです。一歩退いて、こ とばにそれほど大きな役割をもたせても非現実的だという意見をうけい れるとしても、ことばが社会の進歩に対するブレーキになることだけは 決して許せないと思うのです。
【本稿は、拙著『学習和英辞典編纂論とその実践』の第9章を、書肆の了解を得て、注記を削除して転載したものです】