X 用例における
      人名の取り扱い方の問題





1.人名の取り扱い方の種類
  和英辞典は、利用者に親近感を抱かせ、用例に具体性・同時代性などを付与する目的で、実在の人物の名や映画・小説などの登場人物の名を使用することが少なくない。 それを配列順序(「姓・名」の順か「名・姓」も順か)や選択法(「姓」だけか「名」だけか)などで分類すると次のようになる。

 1.1 姓・名を出す場合
  1.1.1 姓・名だけの場合

   例1)エルビス・プレスリーはロッ
      クのために生ま れ、ロック
      のために生きた。Elvis
      Presley was born and lived
       his life for rock'n'roll.

   例2)ジョン・F・ケネディーは1963年に凶弾に
      倒れた。John F. Kennedy was assassinated
       [fell before an assassin's bullet] in 1963.

   例3)福沢諭吉は西洋文明研究の開拓者だった。
       Fukuzawa Yukichi was a pioneer of the study of
       Western civilization.

   例4)滝廉太郎はわずか24歳で世を去った。Taki Rentarou died 
       when he was only 24.   
              
  1.1.2 姓・名に何らかの敬称・肩書きを付ける場合

   例1)いくら欠点があってもウインストン・チャーチル卿は偉大な
      指導者だった。With all his faults, Sir Winston Churchill was
      a great leader.   
             
   例2)ジェームズ・ボンド氏は重大な使命を帯びてバザールに潜入
      した。Mr. James Bond infiltrated the bazaar on an important
       mission.                   

   例3)1987年のノーベル医学・生理学賞は利根川進博士に与え
       られた。The 1987 Nobel Prize for Physiology was awarded
       to Dr. Tonegawa Susumu. / Dr. Tonegawa Susumu was
       awarded the 1987 Nobel Prize for Physiology. 
    
   例4)鈴木進教授は農学部長です。Prof. Suzuki Susumu is dean 
       of the College of Agriculture. 

 1.2 姓を出す場合
  1.2.1 姓だけの場合

   例1)アインシュタインには難しいことをやさしそうに見せる才能 
       があった。Einstein had a gift for making the difficult seem simple. 
                    
   例2)シェークスピアセルバンテスは同じ年の同じ日に死んでいる。
      Shakespeare and Cervantes died on the same day of the same year.

   例3)高橋はサードゴロ[フライ]でアウトになった。Takahashi   
      grounded [flied] out to third.           
 
   例4)小野は試験のヤマかけがうまい。まさに百発百中だ。Ono is 
        great at guessing about what will be on the test. He never
         misses the mark [never fails]. 

  1.2.2 姓に何らかの敬称・肩書きを付ける場合


   例1)スミス夫人は英語の先生です。Mrs. Smith is a teacher of English.

   例2)首相はきょうブッシュ大統領と会談した。Today the Prime Minister
      conferred with President Bush.

   例3)あ、木村先生だ。Hey [Why], here comes Mr. Kimura.   

   例4)大石先生は母親のように優しく生徒たちを愛した。 Miss
      Oishi had a mother's affection for her pupils.  

  上記例3、例4の場合、「木村先生」と「大石先生」はそれぞれ Kimura-sensei、Oishi-senseiと表現することも可能であるが、これは日本人英語に通じている英語話者と会話をするような場合に限って用いるほうが賢明である[ちなみに、Wallace W. Smith: Speak Better English (The Eihosha Ltd.,1985)は、Mr. Wilson, wait for me! / Wilson Sensei, wait for me! (p.194) およびNakazawa-kun and I are both in the same English class. (p. 37) の表記を認めている]。
   似たようなことは「金八先生は生徒の間に人気がある」における“金八先生”にも言える。これを Kinpachi-senseiと表現するのは、日本人同士または日本通の外国人との会話では許容されるであろう。英語で書けば、Kinpachi-sensei is popular among [with] his pupils.のようになる。
   また、「木村先生」と「大石先生」をそれぞれ Mr., Miss としたのは恣意的であって、「先生」と Mr., Missとの間には必然性  はない。ただ、かなりの日本人は例4から、壺井栄の小説の映画化である『二十四の瞳』の主人公“大石先生”を連想するかも知れない。

 1.3 名を出す場合

   例1)ベスはたぬきを珍しそうに見つめた。Beth gazed at the tanuki raccoon
      amazedly [interestingly / with curiosity].

   例2)エリックはM大学のフランス語の非常勤講師だ。Eric is a
      part-time lecturer in French at M University.

   例3)美奈子ははでな服を着ていたので目立った。Minako stood
      out [was conspicuous] among the others because of her showy dress.

   例4)だれもが小百合をほめる。Everybody praises [speaks well of] Sayuri.  

 1.4 日本語の姓または名の下に軽い敬意を示す語が付く場合

   日本語では、主に男性同士の場合、同輩や年下の者に対する軽い敬意を示す場合は“君(くん)”を付けるが、英語ではそのような間柄では“first name”で呼び合うのが普通である。これは言語習慣の違いに基づくものであるが、日本のそのような習慣を英語に入れる場合は、氏(苗字)だけにするか、名だけにするかしたほうが自然である。

   例1)江田君は駿足だ。Eda is a fast runner.
        
   例2)吉村君にマラソンで負けたのは屈辱だった。It was a humiliation to lose
      to Yoshikawa in the marathon.

   例3)沙知代さんの言うことはあてにならない。You can't rely on Sachiyo's
       words. / You can't believe Sachiyo.

   4例)「ビー玉やろうよ、けんちゃん。」「うん、やろう。」
      “How about a game of marbles [playing marbles], Ken? ” “Sure. ”

  これらの場合、日本人同士または日本通の英語圏人などとの会話ではそれぞれ、Eda-kun, Yoshimura-kun, Sachiyo-san, Ken-chanのように表現することも可能である。ただし、-kun, -san, -chan の意味や用途を知らない外国人との会話でそれらを使うのは不自然のそしりを免れないであろう。

   このような、人名の配列法や選択法を和英辞典全体にバランスよく運用し、用例に具体性・同時代性を持たせ、利用者に親近感を抱かせるように配慮したものが良い和英辞典だと言えよう。

2.名・姓の順か姓・名の順か
  以上のような人名処理法の中で1つの問題が生じる。それは日本人の姓名を英語式に「名・姓」の順でローマ字化して記載するか、それとも日本式に「姓・名」の順でローマ字化して記載するかという問題である。
  これまで日本人のほとんどは、自分の姓名をローマ字化して記載する場合、深く考えることなく英語式に「名・姓」の順に記載して来た。 これに対して、中国人、韓国人、朝鮮人、タイ人、ベトナム人などは「姓・名」の順を採用している。少なくとも、東アジアでは日本だけが英語式を採用しているようである。確かに、中国名や韓国名などは Mao Tsetung, Mao Zedong(毛沢東;前者は旧綴り)、Kim Dae-joong (金大中)のように、姓が短いために、英語の Eric Partridge, Walt Whitman などと同様、口調がよく言いやすい点は否めないであろう。しかし、その点を度外視しても、Tsetung [Zedong] Mao, Dea-joong Kim とせずに自分たちの伝統的語順を墨守してきた姿勢に筆者などは羨望の思いさえ抱く。
  日本人が姓名を英語式に言ったり書いたりすることに関して、以前、南ドイツ新聞東京特派員ゲブハルト・ヒールシャー氏が「日本人がなぜそれほど自分を否定するのか不思議だ。日本人が名・姓にするのはノンセンスだ」と言い、ワシントン・ポスト紙極東総局長トーマス・リード氏が「日本だけがなぜ西洋式を使うのか不思議だ。日本人なら日本式がよい。日本人が決めないと、我々は変わらない。だから私は日本人から外圧が欲しい」と言われたことがある。          
  それでは日本人はなぜ、このように簡単に英語式を採用できたのであろうか。筆者は、見逃せない理由の1つに、日本人庶民と“姓”との関わりの歴史の浅さを挙げなくてはならないと考えている。周知のごとく、日本は植民地朝鮮支配の末期に、皇民化政策の一環として、朝鮮人に対して創氏改名を強制した。そうした非人道的なことができた背景には、朝鮮人が(男系社会ではあるが、長年月)姓制度を大事にして来たのに対して、日本人一般が、朝鮮のそれに匹敵するほどの歴史に裏打ちされた姓制度を有していなかったという不幸がある。
  日本人庶民が姓を持つようになった歴史は比較的浅い。平民が名字を持てるようになったのは明治3年(西暦1870年)のことである。しかし、長い間の習慣から、庶民は姓を使用しなかった。明治8年(西暦1875年)、政府は姓の使用を強制した。これは、徴兵制上の便利さと、西洋諸国の人々が family name を有していたことに起因するものと思われる。この際大事なことは、名字は夫婦別姓が原則であるということであった(すなわち、女性は結婚後も生家の氏を称する)。その一大理由は財産権の問題があったからであろう。夫婦別姓は明治29年でも存続していた)。
  明治31年、欧米諸国の近代法に影響されて、我が国も近代法を整備し、民法において、「戸主および家族はその家の氏を称す」と謳うようになった。実際には、女性は夫の家の姓を名乗ることが多かった。いっぽう、同姓不婚(近親婚と財産問題を避けるため)という、儒教における大原則に従う周辺国では、女性は生家の姓を用い続けた。こうして、庶民が姓を持つ歴史の浅い我が国では、人々は自分の姓を軽視する傾向を強く持っている。この事実が、前記した通り、朝鮮の人々に創氏改名を強制する原動力になったと思われるし、同時に、My name is Katsuei Yamagishi. というように、「名・姓」の順序で名乗ることに、特別の違和感・罪悪感を持たない理由になっているとも考えられるのである。
  とは言うものの、最近では日本通の外国人の数も増加し、日本式に姓・名の順で日本人の名前を読んでくれる傾向が強まりつつある。たとえば、1993年12月号の「時事英語研究」誌(研究社出版)の記事の中に、次のよう例がある(斜体字は山岸)。

    Hello, everybody. This is Stuart Atkin. This month's guest is an
     American academic with a wide variety of interests. He´s a 
    lecturer in East Asian Studies at University of Arizona, translator
    of Sono Ayako, Watanabe Junichi and medieval Japanese stories,
    and a distinguished photographer and researcher on Japanese
    photography. It´s Edward Pautzar. Welcome to the series, Edward.
     (皆さん、こんにちわ。ステュウット・アットキンです。今月は幅広い趣
    味をお持ちの米国人教授をお招きいたしました。この方はアリゾナ州
    立大学東洋学部で教鞭を取られ、曽野綾子渡辺淳一の作品、さら
    には中世日本の短編小説の翻訳も手掛けるのみならず、優れた写
    真家でもあり、日本の写真の研究にも携わっています。ご紹介しまし
    ょう。エド ワード・プツアーさんです。ようこそ、おいでくださいました。)

  上の例からも判断できるように、日本研究家の間では、相当以前からすでに、「姓・名」の順は普通のこととなっており、好ましい傾向が強まって来ている。さらにその後、この傾向に拍車を掛けたのが、英語表記のためのガイドブックJapan Style Sheet (Stone Bridge Press, 1998) である。このガイドブックは、「できるなら、日本式を用いて姓を前に、名を後ろに」と明記している。これを作成したのは、日本に関する英文刊行物のライターや編集者、翻訳家など約 300名が構成する交流団体SWETであり、次の引用はこのガイドブックを紹介した朝日新聞(1998 / 7 / 13)の記事である。

      外国の新聞や書籍によっては、「橋本龍太郎」のどちらが姓でど
     ちらが名なのかわからず「リュウタロウ首相」と表記する例もあると
     いう。 会員の間では意見が割れた。「英語の読者にとっては名・
     姓の順のほう が自然だ」「いや、英語メディアでも中国人や韓国人
     は姓・名の順で表 記している。なぜ日本人だけ変えるのか」。結
     局、「日本人の名前の順 序を尊重するべきだ」という、当初は少数
     派だった意見が通った。(中 略) 国際化や英語学習の必要性をい
     くら叫んでも、実は我々は自分た ちの基本的な表記についてすら
     何も決めていないのだということが、 「SWET」の活動から浮かび
     上がってくる。

  以上のことから、「名・姓」表記法よりも「姓・名」表記法のほうが日本(人)的であることが理解できるであろう筆者が、自分の関係した和英、英和辞典において、「姓・名」表記法を採用した所以である。要するに、前述のトーマス・リード氏が言う通り、日本人が決めないと、外国人は変わらないのである。「今後、我々の姓名の順は『姓・名』と、日本式に表記するので、そのようにご理解願いたい」と外国に向かって、自分たちの希望と方針を明確にすれば良いだけのことである。
  全ての和英辞典が、慣習的に行われて来た「名・姓」表記法を一朝一夕に「姓・名」表記法に変更することは望めないかも知れないが、日本人が自分たちの独自性や存在を表明する上で、この「姓・名」表記法の定着は必須のものであるというのが筆者の立場である。
  「名・姓」の順に書くのが習慣であるなら、「姓・名」の順に書くのも習慣である。初級英語学習者には、英語圏人やその他の英語話者に対して、次のような言い方ができるように、自らを習慣づけして欲しいと思う。

     私の名前は鈴木清美です。鈴木のほうが姓です。
     (日本人の名前は姓が先に来ます。)

     My name is Suzuki Kiyomi. Suzuki is my family name.
      (The family name comes first in Japanese names.)



【本稿は、拙著『学習和英辞典編纂論とその実践』第8章を、注記を削除して転載したものです】