16.英語教育業界で私がもっとも敵が多いらしい理由


拙著『まねてはいけない!マズい英語―辞書の権威が辞書にダメ出し』(学研プラス、2016年8月9日初版発行)に対するAmazonでの1人目の書評( 投稿日 2016/8/1)の題名が「英語教育業界でもっとも敵の多い山岸先生の快作」と題されたものだった【後日記:その後、このレビューは残念なことに削除されている;もしそれが私への“遠慮”あるいは“配慮”からだったとしたら、そんな“遠慮”や“配慮”はいっさい不要だったのに、まことに残念だ;もっとも敵の多い山岸先生、それは私への“勲章”だったのに…】。それに関して私は私自身のブログに次のように書いた(2016年08月17日分)。

表題の文句は、私の近著『まねてはいけない! マズい英語―辞書の権威が辞書にダメ出し』(学研プラス)に対してAmazonの書評欄にどなたかが投稿した書評のものだ。これを見て、正直なところ、私の頬の筋肉は緩んでしまった。20代後半から45年以上も、各種英語雑誌・一般雑誌その他に、《英語辞書業界》の《陰の部分》を含めて、《英語教育業界》に関して《ホンネ》を書き続けて来たから、私には間違いなく《敵》が多い。書かれたり、言及されたりした側の《恨み》は骨髄に徹しているだろう。私の政治思想に反発する人々の《嫌悪感》も忘れるわけにはいかない。その点もよく承知している。インターネット上には、《山岸憎し》をよく示す書き込み・スレッドが多い。ただし全てが《匿名》だ。その点が《恨み》の発露の特徴だ。

 書評氏がどなたかは推測さえできないが、じつに的を射たタイトルだ。私が「英語教育業界でもっとも敵の多い」人間になった理由(と思われるもの)については、最低でも7つ、8つが考えられるが、それらについては場所を改めて書くこととして、ここでは上記の理由だけにしておく。ただし、私は自分のこれまでの言動に何ら《やましさ》を感じていないし、《後悔》もしていない。『嫌われる勇気』という題名のベストセラーがあったが、そんな勇気を持ち合わせたこともない。私の頭脳が健全に機能し続ける限り、私は、英語辞書・英語教育の《本当の姿》、《真実》が知りたい。だから、現在の《姿勢》を崩さないし、自分の《信念》を曲げない。フリードリヒ・シラー (Friedrich Schiller; 1759-1805)ではないが、「信念がなくなれば全てがぐらつく(Alles wanket, wo der Glaube fehlt.)」からだ。私の人生のほとんどは英和・和英辞典の改良・改善(のための提案・実践)に費やされたから、同じ分野で日夜、真に頑張っておられる人々には常に敬意を払っている。とにかく、《議論》はお互いのW正体Wを明らかにした上で行いたいものだ。

【付記1】本書の第1部を通読するだけでも、なぜ私に《敵》が多いが推測できるはずだ。
【付記2】辞書作りに関する私の論考・講演
http://jiten.cside3.jp/work/work_ser_03.htm
http://jiten.cside3.jp/work/work_lec_04.htm
http://jiten.cside3.jp/work/work_07_pps.htm
http://jiten.cside3.jp/work/work_08_mod.eng..htm 


 そこで予告したように、私が英語教育産業界で「一番嫌われている」(らしい)理由を以下に紹介しておく。私は立場上、逃げも隠れもしない。私と議論したいという人たちは、《氏名(実名)》・《社会的立場・職位》等を明らかにした上で、その旨を私に伝えてほしい。民主的・建設的・創造的な議論は匿名では出来ないか、出来にくいというのが私の考え方だ。反論をどこの誰に返せばよいのか、意見交換はどうすればよいのかさえ判らないというのでは、その批判は一方的で、非民主的・非建設的・非創造的なものに堕し勝ちだ。したがって、匿名による《山岸叩き》は今後とも意に介さないつもりだ。

 私の《》はそのほとんどが英語教師(それも何らかの形で英語辞書に関わっている人々)、英語辞書出版社(およびその社員・OB・OG)、私とは政治・教育思想を異にする人々(新聞社社員を含む)だと推測する。その理由は以下のようにまとめられるであろう。

@昔、英語学者として著名な、某国立大学長がその知名度ゆえに、某社の某英和辞典に《名義貸し》を行ない、別の辞書出版社から語義・用例等の《大量盗用》を理由に訴訟を起こされた際、「自分は名義だけである。」と回答したことに対して、私がその《無責任さ》を英語雑誌その他で厳しく糾弾し、《名義貸し》を絶対に止めるべきだと主張したことから、当人、その弟子・教え子・シンパ・出版社等の《恨み》を買った可能性が高い。今もその《恨み》は綿々と続いていると考えられる。(該当者の実名に関しては下記論文を参照。)
 関連記事(例):「正しい『英和辞書』 二つの英和辞典・提訴問題」
             「和英辞典の著作権と批評方法
            「英語辞書批評の在り方」
           上記【付記2】に記した論考・講演     

A昔、某社の、とりわけ和英辞典が抱える、辞典としての諸問題を徹底的に分析し、その《欠陥ぶり》を英語雑誌その他で証明したことがあるが、そのために同辞典に関わった人々・出版社・シンパ等々から激しい《恨み》を買った可能性が高い。その《恨み》は今も綿々と続いていると考えられる。ちなみに、和英辞典一般の質の悪さは、近著『まねてはいけない!マズい英語』の第1部を読むだけで証明されるであろう。(該当者の実名に関しては下記論文を参照。)
 関連記事(例):「ハイブリッド方式和英辞典に関する諸問題(1)」
            「ハイブリッド方式和英辞典に関する諸問題(2)」
            「電子辞書とその社会的責任―和英辞典の場合」
            「『ジーニアス和英』(第2版)の問題点とその分析―より良い学習和英辞典を目指して」(明海大学外国語学部論集「第19集」)

B私は英語辞書を批判する場合、たいていはその《実名》を挙げて行うので、対象となった辞書・関係者・シンパ等の恨みを買うことが普通である。
 関連記事(例):上記@、A   

C昔、某有名予備校の講師が某社の英和辞典2点を欠陥商品だとして、著書をものしてまで糾弾したことがある。私は対象となった辞典の出版社の側に立ってその辞典を擁護し、某講師の英語力の貧弱さを英語雑誌その他で証明してみせた。そのために当人・その教え子・シンパ等の激しい恨みを買い、現在に至るもルサンチマンは続いていると考えられる。ちなみに、裁判では某講師とその出版社側が敗訴した。(該当者の実名に関しては下記論文を参照。)
 関連記事(例):「副島隆彦ほか著『欠陥英和辞典の研究』のウソ」
            「英和辞典と典拠主義―副島隆彦『英語辞書大論争!』を読んで」
            「正しい『英和辞書』 二つの英和辞典・提訴問題」  
            「『欠陥英和辞典の研究』、『英語辞書大論争!』の著者に思う」
            「英語辞書批評の在り方」
       
D私は、とりわけ私と同じ世界に生きる学者や教師が起こした反社会的事件(セクシュアルハラスメント、パワーハラスメント、アカデミックハラスメント、学歴詐称、業績詐称等々)を実名を挙げて厳しく糾弾して来た。そのために当人を初め、その周辺の仲間・弟子・シンパたちの《恨み》を買って来た可能性が高い。その《恨み》は今も綿々と続いていると考えられる。(該当者の実名に関しては下記記事を参照。)
 関連記事(例):「有終の美を飾ることの難しさ―菅山謙正氏 懲戒解雇・名誉教授称号取り消し!」
            「栄光からの転落―余湖三千雄という人の場合」
            「校長の万引き―有終の美を飾れなかった人」 
            「元中学校長『1万2千人超を買春』 児童買春容疑で逮捕」

E某著名新聞の捏造報道・誤報によって第二次大戦中の日本軍人・兵士の名誉が著しく毀損されたことを理由に東京地裁に集団訴訟が起こされたが、私は原告側の一人として陳述書を書き、証言台に立った。これによって、同新聞関係者・そのシンパ、および私の政治思想に強く反発する多くの人々の《恨み》を買った可能性が高い。インターネットにはこの件で私を誹謗中傷するスレッドが何か所か立っている。(該当者の実名に関しては下記記事を参照。)
 関連記事(例): 「朝日新聞に思う」(続々
            「加害者が被害者にすりかわる時―元朝日新聞記者のこと」
            「山岸勝榮陳述書(PDF)」
            「朝日新聞2万5千人集団訴訟―何と《結審》! ()」
                 
F私は本ブログで自分の政治思想や我が国の近現代史に関する私見を述べることが頻繁にあるが、それに強く反発する反対思想(反日派)の人々の恨みを買っていると考えられる。(該当者の実名に関しては下記記事を参照。)
 関連記事(例): 「法華狼の日記」というブログ記事を一読した…」
    
         「河野洋平、村山富市、朝日新聞ほか―その罪深さ」
             「世界記憶遺産」に捏造の《南京大虐殺》が!」
              「抗日戦争勝利70年記念式典」と村山富市元首相」(続々
                   

 ほかにもあるであろうが、私が推測できる理由を7点だけ上に挙げておく。私は半世紀近く《英語教師》として教壇に立ち続けて来た。教師の仕事は《教育》であり、もっとも大切にしなければならないことは、教わる側、すなわち学生・院生たちが教師としての私をどう《評価》して来たかということである。その点に関しては本ホームページに多数掲載してあるので、心ある方たちには是非ともご参照願いたい。関連記事:満足度の高い大学英語授業の創造」;「教育全般」の「学生による授業評価」7〜12)

 ルサンチマンに基づく《山岸叩き》は今後とも続くであろうが、匿名で行われる限り、私はそういった類いのものに惑わされることはない。つまり、上記したことに関連して、私は何ら《やましさ》を感じていないし、《後悔》もしていない。宮本武蔵(「五輪書」)ではないが「我事において後悔をせず」である。名義貸しは悪しき慣習だし、無責任のそしりを免れない。私が英和辞典・和英辞典のどこがどう問題なのかを何十年にもわたって英語雑誌・新聞等で常に代案を示しながら論評して来たのは事実だし、今回の『まねてはいけない!マズい英語: 辞書の権威が辞書にダメ出し』の第1章だけでも一読すればよく分かるように、過去・現行の和英辞典はまことにひどい状態か、「親亀こけたら子亀・孫亀みなこけた」の様相を呈しているのだ。私にはそれを改善・改良するのに力を貸したという自負がある。博士号も『学習和英辞典編纂論とその実践』(こびあん書房刊、2001)で取得した。これまで私は無責任な《言いっ放し》だけはして来なかった。《》も多いが《味方》も多いと私は思っている。それが私が編集主幹を務めた英和・和英辞典が多くの日本人英語教師・学習者に受け入れられている理由であろう。このAmazon書評者も私の側に立ってくれているようだ。

 繰り返すが、私に対する批判があれば、是非とも《氏名(実名)》・《社会的立場・職位》等を明らかにした上で行なってほしい。残念ながら、過去半世紀近くで、一部の辞書(学会)関係者が専門書の中で私の言説に言及したものを除けば、《氏名(実名)》・《社会的立場・職位》等を明らかにして「山岸批判」をした人はいない。類似の人たちが居るには居たが、書いている内容は噴飯物でしかなかった。私の人生は残り少なくなっている。頭脳が健全に機能する限り、私は現在の姿勢を崩さない。私が最も大切にするのは「真実に謙虚たれ」ということである。「真実」(本当のこと)である限り、それを認めようとする懐の深さ・度量がなければ社会的有益性はない。匿名でこそこそと《ルサンチマン》を解消しようという態度はやめたいものである。


【付記】孟子は「仁者無敵」(仁者敵無し)と言った。「仁者は人に恨みを結ばざるが故に世に敵というものが無い」という意味だが、この至言は私には無縁のものである。