学習英和辞典の引かせ方(3)
             ―辞書の《限界》を教える




  辞書さえあれば英語学習はなんら支障なく行えるなどと信じている人はいないであろうが、どのような点が辞書の限界かという問題となると即答できない人が多くなるであろう。この点を受講生に認識させるため、私は大学での講読の授業を最大限に活用することにしている。

辞書の限界を知らしめる
  数年前、慶應義塾大学法学部 2年次生の諸君と、 F. Forsyth の短編 Money with Menaces (「脅迫」)およびThe Emperor (「帝王」)を利用して、辞書にも限界があることを確認したことがある。たとえば、前者に次のような箇所がある(斜体は山岸)。  

    He rang the number at lunch time from a callbox in the nearest
    subway station. A husky woman's voice said, ‘Hello?’ Mr Nutkin
    pushed the five-penny piece into the slot, and cleared his throat
    and said, ‘Er... hello, is that Miss Sally?’ ‘That's right,’ said the
      voice,‘and who is that?’

  問題は、斜体字部分である。公衆電話の硬貨投入口に硬貨を入れてからダイヤルを回すはずなのに、主人公のNutkin 氏は‘Hello?’と言ってから投入口に5ペンス貨を投入している。このやり方、すなわち、受話器を取って、相手の番号を回し、相手が電話口に出たのを確認してから、硬貨を投入する(というよりも、そこに表現されている通り、押し込む “push into” と形容したほうがよいほど投入口が固い)のがイギリスの旧式電話器の掛け方であることは、その辺りの事情を知らなければ理解のしようがない。ちなみに、この部分を訳していて、その点に疑問を持った学生は皆無であった。辞書では解決できない“生活文化”の1例である。
  前々稿で引用した Mrs Murgatroyd descended from the rear seat at once.(The Emperor より)の文に次の1節が後続する。ここにも辞書の限界を実感する箇所がある(斜体は山岸)。
 
    Although she had only twice ventured east of the Thames
    estuary −they usually holidayed with her sister at Bognor−she
    at once began to harangue the porters as if, in earlier life, she
    had had half the Raj at her personal disposition.

  最初の斜体字部分に関してであるが、「テムズ河口から東方へは2度しか行ったことがなかった」とは、どういうことであろうか。訳出担当の学生は誰一人として即答できなかった。そこで、私は当人に、「ではテムズ河からドーヴァー海峡、フランス辺りの地図を思い浮かべてごらん」と言った。そして、イギリス人にはフランスなど、“大陸”に休暇族行に出かける人も多いことを説明した(最近では英仏海峡にトンネルができて、大陸への族行はいっそう容易になった)。ここまで言うと、たいていの学生が、この英文の言わんとするところを理解した。
  続いて、2番目の斜体字箇所について質問した。「“この島の半分は私の思うままになっていたのよ、と言わんばかりに(ポーターたちに向かって大言壮語を始めた)”とはどういうこと?彼女はなぜ “この島は全部自分の思い通りになっていたのよ” と言わなかったの?」というふうにである。学生が文字通りの訳をして、何ら疑問も持たないのを知っているから、私はこの種の質問を欠かさない。もちろん、当人が即答できないであろうことも知っている。そこで、「では考えてごらん」と言って、しばらく考えさせる。「この島(インド洋のモーリシャス島)は1968年の独立まで150年間にわたってイギリスの統治下にあったのだよ。それがヒントだ」と付言する。そうすると、当人は、「英国国王【あるいはエリザベス女王】が持っていたみたいなものだから、国王【エリザベス女王】に “遠慮して”半分と言ったのですか」と回答するようになる。それが正解である。少なくとも、担当者としての私はそのような原文の含みを読んでいた。

訳読だけでは魅力ある講読授業はできない
  このように、辞書にも限界があることを教えると、たいていの学生たちは、自分たちが高校までに “辞書の有益牲”についてさえ、ほとんど何も、あるいはあまりにも少量しか学んできていないことを痛感する(そして、辞書に限界はあるものの、それの“重要性”を認識するようにもなる)。訳読の授業は次のような箇所に達した。

 In two days Murgatroyd had got into the rhythm of holiday life in the tropics,
 or as much as was allowed him. He rose early, as he always did anyway, but
 instead of being greeted as usual by the
propspect through the curtains of
 rain-slick pavement,
he sat on the balcony and watched the sun rise up from
 the Indian Ocean out beyond the reef, making the dark, quiet water glitter
 suddenly like shattered glass. (中略) He began to take his breakfast on the
 terrace by the pool, joining the other holidaymakers in selecting melon, mangoes
 and pawpaw with his cereal and forsaking eggs and bacon, even though these
 were available
.

  以上の箇所のうち、斜体字部分が何を意味しているか、すぐに理解できる人は本国人を除けば、きわめてイギリス通の外国人である。講読クラスの諸君には、全く理解できないのが普通である。そこで、私は雨がちのイギリスの話を、朝起きると、「また今日も歩道が雨に濡れているだろう」と推測してしまうイギリス人の朝の様子を紹介する。また、forsaking eggs and bacon, even though these were available(その気になれば食べられるベーコンエッグには見向きもせずに)とは、べ−コンエッグがイギリス人の伝統的朝食の一部であり、主人公のMurgatroydは、わざわざモーリシャス島に休暇に来てまで、そのベーコンエッグを食べたいとは思わない、と考えていることを話す。このようにして、受講生諸君に、英語を理解するということは、辞書があって文法が分かれば実行できるというものではないことを実感させる。換言すれば、英語教育の一部として、彼らに、英語と文化の不可分性を認識させている
  「英語の授業で、英語圏の国の文化を学ぶということを初めてやり、とても面白かった」「文法を教え込むだけの授業と全く違って、とても役に立つ、内容の濃い授業だった」等々の学生たちの声は、以前にも紹介したが、辞書の限界を教え、英語文化に関する知識のいかに大事であるかを実感させるような授業の進め方をして行くうちに、学生たちは90分間を楽しみながら過ごしてくれるようになる。「英語の教師というものは、これまで工夫がなかったのではないだろうか」と言ったY君の言葉は間違いなく真実を突いている。

教師の実体験にはかなわない辞書
  前回取り上げた高校教科書 MilestoneのLesson 17には The Concluding Speech of the Dictator と題した、喜劇王Charlie Chaplin (1889−1977)の話が取り上げられており、その Exercises には、チャプリンの初舞台を描いた文章がある。私が高校教師で、この部分を指導する場合には、教室の生徒たちに、チャプリンが生まれた貧しいロンドンの通り"East Lane"ロンドンの下町っ子 "Cockney"はこれを「イースト・ライン」と発音するの写真を見せながら、私自身、その通りを何度も歩き、いろいろと買い物をして楽しかったことなどを “熱っばく” 語るであろう【右は1981年のEast Laneの日曜市】。こういう経験をできるだけ多くの英語教員が研修などの名目で持てるよう、そのための体制作りがなされなければならない。国家が本気で英語教育の充実を願うなら、ALTの増員もさることながら、JETの英語国での研修の機会を増大する必要がある。
  どのような辞書も、教師の実体験に基づく説得力にはかなわない。この点を理解していない人々による“国際英語” “国際理解(教育の一環としての英語学習)” の叫び声が今もかしましい。                                                                                                                                             
【本稿は、「現代英語教育」誌(研究社出版、1997, 4)に寄稿したものの改訂版です】