3 学習英和辞典の引かせ方(1)
         ―大学英語講読の場合の例(私の場合)

            

辞書の引かせ方
  教科書を読んでいて、これという語が出てきた場合、私はまず類義語との比較によって、その語の文脈における必然性を教えることにしている。たとえば、慶應義塾大学法学部二年次生の講読クラスで読んだ F. Forsyth の短編 The Emperor には、物語が始まって間もないところに次のような箇所があった(斜体は山岸)。

    The taxi finally halted in front of the great arched entrance of the
    Hôtel St Geran, and two porters ran forward to take the luggage
    from the boot and the roof rack. Mrs Murgatroyd descended from
    the rear seat at once.           

  この部分を含めて訳出を担当した学生の和文紹介が終わると、私はその学生に、「君が知っている英語で『車が止まる』と言う時の『止まる』、『車を降りる』と言うときの『降りる』に相当するのは、それぞれ何?」と尋ねる。この質問に対して当人はまず間違いなく ”stop ” “get out of /get off” だと答える。そこで私はさらに尋ねる。「それでは、作者はなぜここで The taxi finally stopped in front of...” あるいはMrs Murgatroyd got out of... と言わなかったのだろうか」と。この質問に即答できる学生にいまだ出会ったことがない。そのような訓練を受けたことのない学生たちだからである。
  そこで、英和辞典で “halt” “descend” を引かせ、“stop” “get out of/get off”と比較させる。「何か気づいたことは?」と聞くと、前二者には “格式語” や “正式” といったラベルが付いていることに気づく (ちなみに、“格式語” “正式”というラベルが言語学的に見て不適当であることを私は以前から指摘しているのだが、残念ながら、関係者にはいまだ理解してもらっていない)。

  そこで、私は“格式語” “正式”であることの意味を解説し、教科書の文脈では明らかに “halt” や “descend”が良いこと、特に、後者は Mrs Murgatroyd が“威厳” を持って下車したことを読者にイメージさせるには効果的であることなどを説明する。このようにして、ある語が選択される必然性を悟らせるようにする。こうしておくと、(同じ講読テキストの)別の短編に Mr Nutkin gazed at him as though he had descended from Mount Olympus.(ナトキン氏はオリュンボス山から下山してきた(“時の氏神”を見るように)彼[刑事]を見つめた)という場合に、なぜ “descend” が選択されたのかも学生たちは、きちんと理解できるようになる。

  別の例を取り上げてみよう。同じ短編に次のような箇所がある(斜体は山岸)。

    Occasionally she would lower her pink bulk into the hotel pool
    which encircled the pool bar on its shaded island,...

  学生は、この “occasionally” を、たいていは「ときどき」とか「ときおり」と訳す。そこで私は、当人に対して「いま君 [あなた] は “occasionally” を 『ときどき』(『ときおり』)と訳したけれど、それでは “sometimes” は何と訳す?」と尋ねる。当人はまず間違いなく「『ときどき』です」と答えるから、「では両者はどう違うの?」と重ねて尋ねる。ここで学生は答えに窮する。そこで私は、「では、英和辞典で両者を比較して」と言って、辞書持参者全員に各自の辞典で確認させる(このような作業が始まっても辞書を持参せずに“我関せず”を決め込むのは、なかなか“勇気”のいることらしく、次第に持参者の数が増えて行く。もちろんそこがこちらの意図するところである)【右は『スーパー・アンカー英和辞典』の場合】。
  すると、辞典によって、「時々」、「時折、たまに」、「時折、ときたま(sometimes より頻度が低い)」、「ときおり、ときどき」などとしていることが分かる。また、辞典によっては右に示すように、図表によって頻度を表す副詞を視覚的に示しているものもある。これらを参照させることによって、学生たちは、いままで単純に考えていた副詞群の意味が明確に理解できるようになる。その上、“sometimes” を「ときどき」という日本語と直結させていたことの問題点にも気づくようになり、同語はむしろ「〜のうち半分は」「〜のときもあれは〜のときもある」のように訳すほうが適切な場合が多いことを知るようになる。

思い込みを正すときの辞書使用
  教科書を読み進んでいくうち、The Australian tilted the can to his lips and drained it. という1文にぷつかると、訳出担当の学生はまず間違いなく “lips” を 「くちびる」と訳すから、訳出の終了した時点で、辞書の “lip” の項を引かせる。すると、たいていの学習辞典が、「日本語の『唇』よりも範囲が広く、複数形では“口” the mouth の意味があることに注意」というような注記を付しており、It sounds strange from his lips. (彼がそう言うと変に聞こえる)とか、My lips are sealed.(口止めれているんです;試すつもりはありません)とかの用例まで付していることを知ることとなる。「lip(s)=唇」という思い込みをしている学生がほとんどであることは、私も経験的に知っでいる。
   思い込みの例をもう1例示せば、教科書をもう少し読み進んだところにある Her dark hair hung down to her hips, undulated slightly beneath the white cotton. における “hips” にもそれが言える。これも、日本語の「ヒップ=尻」という直結的連想が災いして、学生たちは誤訳をするから、辞書を開かせ、“hips”が示す本当の身体的部位を悟らせる。これに関しても、どの学習英知辞典も日英差に言及している。辞書によっては、イラストを添えて、視覚的にその違いを示している【下は『スーパー・アンカー英和辞典』の場合】。このような有益なイラストその他を利用しない手はないのである。

まず教師が辞書を多用したい
  生徒・学生は教師を選ぶことができない。自ら辞書を使用法知らず、しかも辞書そのものにほとんど、もしくは、全く意義を見い出し得ない “英語教師” が多ければ多いほど、この国の英語教育は、ますます名ばかりのものとなる。そうした人々から “英語もどき” を教わらなければない生徒・学生たちが “英語嫌い”になるのは当然過ぎるほど当然のことである。何よりもまず、教師自身が辞書を多用し、それが知識と情報の宝庫であることを実感する必要がある。















【本稿は、「現代英語教育」誌(研究社出版、1997、2)に寄稿したものの改訂版です】