12.言葉の文化的意味をカバーした
   新時代の英和辞典をめざして


この記事はASAHI WEEKLY (3/28/2004)の特集「辞書は英語上達のツヨーイ味方」の1つとして同紙に掲載されたものの転載です。ただし、写真キャプション(私の顔写真)2葉は省略してあります。


インタビュー:明海大学教授 山岸勝榮さん

英語学習者を対象にした英和辞典は、使う側の便宜を考慮し、さまざまな工夫を凝らしながら著しい進化を遂げている。昨年12月に全面改訂された『スーパー・アンカー英和辞典』もそんな辞書のひとつ。言葉と文化に着目し、新しい視点から生まれた同辞典の編集主幹、山岸勝榮先生にお話を伺った。(聞き手=和田 明郎記者)



                                                 
『スーパー・アンカー英和辞典』の全面改訂で一番苦労したのは、denotation と呼ばれる辞書に載っている意味以外に、connotation という文化的な意味をいかに記述するかという点です。後者は文化が作り出した意味とでも言いましょうか、氷山に例えれば沈んでいる部分のことです。従来の英和辞典はこの connotation がうまく引き出せないままに作られてきました。

例えば、responsibility という見出し語には「責任」という訳語が当てられます。さらに用例として take responsibility とあれば「責任を取る」ですが、このまま覚えてしまうと誤解を生む原因になります。日本では政治家や会社の重役が「責任を取る」と言った場合、通例「辞任することで責任を取る」と解釈されます。他方、英語ではいくつかのステップがあって、責任を認知して、次に善後策を講じる。さらにいろいろ検討したけれども、辞任するのが当然という結論に達する。しかし、辞めないという選択肢もあるわけです。

ところが日本の場合は突然「辞める」という選択肢に行ってしまう。つまり責任とは何かという理解がないのでステップが欠落してしまうわけです。だから、「responsibility =責任」と丸覚えしてしまうのは極めて危険なわけです。

●意味のズレを引き出す記述●

responsibility はひとつの例に過ぎませんが、こうした文化的な意味は個々の単語にあるはずなのです。単語が担ってきた文化・歴史がある以上、それをいかに辞書が引き出して「英語の世界とはこういうものなんだよ」ということをできる限り記述しておくことが大事だろうと思うのです。和英の場合なら、仏教や儒教の影響を受けた日本語の「恩」「義理」「縁」といった言葉をどんなに英語に訳そうとしても、キリスト教文化を中心とした英語圏の中にピッタリの概念がないのが当たり前なのです。

modesty は「謙そん」ですが、Do you play the piano? と聞かれると日本人はかなり上手な人でも「はい弾けますよ」よりは、むしろ「触る程度ですよ」といった答え方をします。事実より低めてモノを言うことが我々にとっての「謙そん、控え目」です。そこで「彼は控え目な人だ」を He is a modest man. と訳すことになります。ところが、英語の modesty が意味するものは、「ピアノを弾ける」ことを事実より誇張するのはごう慢になるが、同時に弾けるのに「全然だめです」とか「触る程度ですよ」と表現したらこれもウソになるということ。つまり、謙虚な人というのは「ウソは言わないが、過度な自賛も卑下もしない、本当のことを言う人」を指して使われるわけです。

ですから、辞書を使って英語を日本語に、日本語を英語に置き換えられたからと言って、その言葉の意味が常に完全に伝わったと思うのは危険で、どこかにズレが生じることも多い。それを引き出して教えるのが辞書の役目なのです。

日本では明治以降、英語を日本語に置き換える作業に専念してきました。そして辞書の訳語が複数あれば、その中から適当なものを拾いなさいと指導されてきたように思います。でも、本当はそうではなくて、ある言葉の核になる意味とか、文化が作り出してきた陰影のようなものを訳語の周辺に記述しておけば、英語を読むとき、使うときにギャップが少なくて済むわけです。

●独自のコーパスを構築●

最近の辞書作りでは「コーパス」と呼ばれる、コンピューターに集積した文章や会話などの言語資料を利用することが当たり前になっていますが、これらは英語圏の人々が作ったもので、日本人英語学習者が本当に必要としている英語とは異なるものも数多く含まれています。そこで、『スーパー・アンカー英和辞典』ではコーパス自体を新たに構築しています。

その情報源は英米の高校生・大学生の教科書や SAT (大学進学学力試験)、TOEFL などの問題、英語圏の学生新聞などが主体です。世界最大の British National Corpus と Brown Corpus なども使用しますが、あくまでも参照用です。そうでなければスーパー・アンカーの独自性が保てません。海外のコーパスだけに頼っていては、 どの辞典も類似の内容になってしまうおそれがあります。

それから、私が辞書に文例を載せる場合、これらの言語資料に加えて、日本人が知っておくべき用例を、日本語に精通した英語のネイティブに依頼して作ってもらうようにしています。英米に加えて、カナダやオーストラリアにもこうした情報提供者(informants) を置いて、常に電子メールでやりとりしながら文例作成に取り組んでいます。

英米で作られたコーパスには自然な英文が豊富にある一方、長さや内容から考えて、日本人の英語学習者用にピッタリのものを探すのは至難の業なのです。ですから、依頼した文例をコーパスで確認して、補強する形で辞書に載せています。ここでも、文化面を重視し、キリスト教やユダヤ教文化で育った英語圏の人たちが、価値観として体の中に染み付いた言葉が出て来るような例をできる限り採用しています。

 つまり、見出し語の意味の世界が分かる文例が大事なのです。例えば、conscienceの見出しに、He  killed the crows in good conscience. (彼は良いことと思ってカラスを殺した) という文を入れることで「conscience=良心」ではないということを示すことができます。conscience は「良心」と習ってきましたが、常にそうだというのではなく、bad やguiltyのような形容詞が付いて「やましい気持ち、罪悪感」という意味にも成り得るのです。conscience に good やbad が付く可能性がある以上、conscience即「良心」ではなく「善悪の判断力」と解釈するほうが良いのです。従って、上記の文なら「He の善悪の判断では good のことだと思って (たとえば、近所にゴミを散らかすような) カラスを殺した」ということになるわけです。

●辞書作りに求められるもの●

こうした形で文例を示すことで、ある単語の輪郭がよりハッキリするのですが、私自身が理解し得ていないものがまだありますから、今後改善すべき点もたくさん残っています。辞書作りでは英語のネイティブによるチェックは欠かせませんが、日本語や日本文化を知らないネイティブがチェックした場合、英語として正しければそれで通ってしまうのです。これは恐ろしいことです。文化が作り出す「違い」は日英言語文化の両方を熟知している人でなければ指摘できません。

これからの英和辞典には「英語世界を真に分からせてくれる辞書」、和英辞典の場合なら「日本語世界を真に分かってもらうための辞書」が必要になります。そのためには英語を母語とし、日本語・日本文化にも精通した優秀な人たちの協力がますます必要になります。彼らを単なるinformants として扱うのでなく、co-workers やcollaborators という立場で一緒に仕事をしていくことがますます重要になっています。

PROFILE
山岸 勝榮(やまぎし・かつえい)

1944年山口県生まれ。法政大学大学院博士課程修了。ロンドン大学ユニバーシティ・コレッジ大学院留学。法政大学教授を経て現職。英語辞書および対照言語学を中心に研究に従事。著書に『英語教育と辞書』(三省堂)、『英語になりにくい日本語をこう訳す』 、『言えそうで言えない英語表現』(共に研究社) など多数。